結論から言うと、『天幕のジャードゥーガル』は完全な実話ではない。
ただし主要人物のモデルや大きな歴史の流れは史実に基づいており、フィクションの部分は史料の「隙間」を丁寧に埋める形で描かれている。
『天幕のジャードゥーガル』は、秋田書店のWEBコミックサイト『Souffle』にてトマトスープ先生が2021年9月25日から連載中の漫画だ。
2026年7月からはテレビアニメも放送されている。
舞台は13世紀のモンゴル帝国。
奴隷の少女シタラが、モンゴル軍に故郷を滅ぼされたのち、亡き主人の名「ファーティマ」を名乗って王族に取り入り、内側から帝国への復讐を果たそうとする物語である。
このタイトルで検索してきた読者の多くは「このストーリーはどこまで史実なのか」「シタラやドレゲネにはモデルがいるのか」を知りたいはずだ。
この記事では、作品の元ネタとなった史実、そして史実モデルと創作部分の境界線を、公式情報や研究者の見解をもとに検証していく。
『天幕のジャードゥーガル』は実話なのか?作品の位置づけ
本作は「歴史書の再現」ではなく「史実の隙間を想像力で埋めた歴史フィクション」である。これがまず押さえておきたい大前提だ。
原作者のトマトスープ先生は、5歳頃に中国・内モンゴル自治区のシリンホト市を訪れた経験をきっかけにモンゴルへの関心を持ち続けたという。
大学時代から本格的にモンゴル帝国史を調べてきたとされ、自身のウェブサイトにモンゴル帝国を舞台にした漫画を掲載していたところ秋田書店の編集者の目に留まり、本作の連載につながったと伝えられている。
構想自体は10年ほど温められていたもので、当初は主人公をドレゲネにする予定だったという。
歴史書での評価は高くないものの、男性優位社会の中で一時は高い地位に就いた女性であるドレゲネに対し、トマトスープ先生は「何かしらのタレント性はあったはず。なぜ高い地位に就いたのか、その理由を想像で埋めればドラマチックな物語になる」と語ったとされる。
ただし、モンゴル帝国のスケールの大きさを描くには「動きのある人物」が主人公として適しているという判断があった。
もともとイスラムの歴史にも関心があったことから、最終的にはファーティマ(作中ではシタラがこの名を名乗る)を奴隷出身という設定に変えたうえで主人公に据えたという経緯がある。
つまり本作は、「実際に存在した女性たちの空白部分に、創作の主人公シタラを重ね合わせる」という手法で組み立てられたフィクションだ。
史実そのものではないが、史実を土台にした物語だと理解しておくとよいだろう。
シタラのモデルは誰?ファーティマ・ハトゥンという実在の人物
『天幕のジャードゥーガル』の元ネタを考えるうえで欠かせないのが、主人公が名乗る「ファーティマ」というキーワードだ。
本作は第2代皇帝オゴデイの第6皇后ドレゲネに側近として仕えたファーティマ・ハトゥンという実在の人物を題材にしている。
歴史書『集史』にもこのファーティマに関する記述があるとされる。モンゴル考古学を専門とする新潟大学の白石典之氏も、Souffle公式コラムのインタビューの中で『集史』にファーティマの記述があることに触れている。
一方で、主人公シタラそのものは作品オリジナルの創作キャラクターだ。
史実のファーティマは奴隷から皇后の側近にまで上り詰めた女性として記録に残っているが、その少女時代や内面までは詳細に伝わっていない。
この「わからない部分」を埋めるために生み出されたのがシタラというキャラクターだ。
彼女が学者の未亡人ファーティマの名を借りて宮廷に潜り込んでいくという設定は、史実の人物像に想像力で肉付けをしていく形だと考えられる。
シタラという名前の由来と、物語上の役割
シタラというキャラクター名そのものにも、原作者の史実へのこだわりが表れている。
「シタラ」という名前は、11世紀の学者イブン・スィーナーゆかりの女性の名から取られているとされる。
イブン・スィーナー(ラテン名アヴィケンナ)は中世イスラム世界を代表する医学者・哲学者であり、その周辺人物の名を主人公に冠することで、作品の舞台であるイスラム文化圏とのつながりを強めていると読み取れる。

物語上のシタラは、単なる「復讐の主人公」ではない。
彼女は奴隷という最も声を持たない立場から、帝国の中枢に潜り込んでいく存在として設計されている。
これは、史実のファーティマが実際に成し遂げた「奴隷から権力の中枢へ」という異例の道のりを、より劇的な形でなぞる構造だと言える。
作中でシタラが仕えることになるトルイの正妃ソルコクタニ・ベキも実在の人物だ。
ケレイト族出身のネストリウス派キリスト教徒だったことが知られている。
学問への関心が薄かったとされるモンゴル社会の中で、彼女が数学書『エウクレイデスの原論』の写本を求めたというエピソードも、史実の彼女の知的な人物像を反映した創作だと見られる。
ドレゲネのモデルと元ネタ|モンゴルを憎む王妃の史実
もう一人の主人公格であるドレゲネも、実在した人物だ。
オゴタイ(オゴデイ)の第六妃であり、のちに位を上げて第二妃となった人物として記録に残っている。
作中の設定では、ドレゲネはナイマン族出身で、最初の夫はメルキト族の氏族長ダイル・ウスンだったとされる。
モンゴルに対抗するための部族間同盟としてダイルに嫁いだものの、その後メルキト族はモンゴルに降伏し、夫や一族はモンゴルの手によって滅ぼされた。
夫を討ったのがのちの皇帝オゴタイであり、ドレゲネはそのオゴタイの妻となったことで生き延び、息子グユクをもうけた、という筋書きになっている。
征服した側と征服された側という複雑な関係の中で、モンゴルへの深い恨みを抱きながら生きる女性というドレゲネの人物像は、史料からうかがえる彼女の立場を大きく踏み外すものではない。
実際、中国側の正史である『元史』をはじめとする後世の歴史書では、ドレゲネの統治手腕そのものへの評価は決して高くないとされる。
だが、男性優位のモンゴル社会で一時的にせよ大カアン亡き後の政治を主導する立場に立った女性であることは史実として確認できる。
原作者がインタビューで語ったように、モンゴル帝国の中枢で「捕虜としてイランからやって来たファーティマ」と「モンゴルへの深い恨みを秘めたドレゲネ」という二人の女性が暗躍していたという史実に着想を得たことが、本作の根本的な元ネタになっていると言えるだろう。
こうした「正史では悪しざまに書かれがちな女性」を主人公に据える手法自体、史料の偏りをあえて逆手に取った構成だと筆者は見ている。
年表で見る実際の歴史との対応関係
作中の出来事は完全に史実通りではない。
ただし、大枠の年表は実際のモンゴル帝国史とかなり重なっている。
公式に示されている年表の一部を、史実との対応が分かる形で整理した。
| 年 | 作中・史実の出来事 | 史実との対応 |
|---|---|---|
| 1213年 | シタラがファーティマに引き取られる。同年秋、ムハンマドがニーシャプールへ遊学 | 周辺エピソードは創作 |
| 1221年 | トルイの軍勢によってトゥースが陥落。シタラが捕虜としてモンゴルに連行される | 都市陥落は史実、シタラの運命は創作 |
| 1227年 | チンギス・カンが崩御。トルイが監国(一時的な代行統治者)の任に就く | 崩御年は史実とほぼ一致 |
| 1229年 | クリルタイを経てオゴタイが新帝に即位 | 即位年は史実とほぼ一致 |
| 1232年 | 三峰山の戦い。凱旋の途上でオゴタイが病に倒れ、身代わりのようにトルイが急死 | 戦いは史実、詳細な演出は創作 |
| 1235年 | 首都カラコルムの建設に着手。南宋・高麗・キプチャクへの大遠征が始まる | 着手年は史実とほぼ一致 |
表の通り、6項目中3項目(崩御・即位・カラコルム着手)は史実の年代とそのまま重なっている。
一方で、シタラの捕虜としての運命や、ドレゲネとの出会いのきっかけとなる「ジャダ石紛失事件」のような細かなエピソードは創作だ。
公式でも「史実とは必ずしも一致しない」と明記されている点には注意したい。
史実の年代を骨格として使いながら、その隙間に個人のドラマを差し込んでいく構成は、歴史フィクションとしてはオーソドックスでありながら手堅い手法だと言える。
末子相続とクリルタイ|モンゴル帝国の史実の仕組み
作中の権力争いを理解するうえで欠かせないのが、モンゴル社会特有の相続制度だ。
日本のような農村社会では長男相続が一般的だが、モンゴル社会では家の財産は末子が相続するのが基本だった。
これは、家畜という「動く財産」を扱う遊牧社会ならではの仕組みだ。
男子は成人した順に家畜の一部を持って独立し、最後に残った末子が老いた親の面倒を見る代わりに親の財産を受け継ぐという合理的な制度だったと考えられている。
このため、チンギス・カンの死後、皇帝という部族連合の長の座はクリルタイ(部族長たちによる会議)を経て三男オゴタイが継いだ。
一方で、チンギス・カン個人の私財や直属の軍事力の多くは末子トルイに渡った。
この「皇帝の地位」と「実際の軍事力・財力」がねじれている構図こそが、作中で描かれるオゴタイ家とトルイ家の緊張関係の元ネタになっている。
権力の正統性と実際の武力が別の家系に分かれるという構図は、後の後継者争いの火種としても機能しており、この制度を知っているかどうかで作中の緊張感の見え方がかなり変わってくると筆者は感じる。
また、オゴタイの第一妃ボラクチンは、作中ではチンギス・カンから相続された妃(レヴィレート婚)として描かれている。
しかし史実ではチンギス・カン存命中にオゴタイと結婚しており、レヴィレート婚ではなかったとされる。
史料が少ない人物であるため、作品として大胆に脚色されている部分だと公式でも説明されている。このあたりは史実そのままではなく創作的な解釈が加えられた例と言える。
研究者は『天幕のジャードゥーガル』をどう見ているのか
本作の評価を語るうえで見逃せないのが、モンゴル帝国史の専門家からも高く評価されている点だ。
新潟大学人文学部でモンゴル考古学を専門とする白石典之氏は、Souffle公式コラムのインタビューで本作について、チンギス・カンの時代を扱った作品は多いが、その後のオゴタイ・カアンの時代、しかもイスラーム系の人々に焦点を当てた作品は珍しいと語っている。
白石氏は、ゲル(天幕)の間取りや、ソルコクタニのゲルに景教(ネストリウス派キリスト教)の十字架が置かれていた描写、ゲルを載せた車を牛が牽く様子など、細部の風俗描写が非常に丁寧である点を高く評価している。
また、洗面器の水をゲルの外に数歩歩いて捨てるという何気ない仕草まで、現代のモンゴルの人々の生活習慣と一致していることに驚いたとも述べている。
さらに白石氏は、同じインタビューの中で、原作者のトマトスープ先生が2024年5月頃にモンゴルの遺跡(ドイティン・バルガス遺跡)を実際に訪れていたことにも触れている。
現地取材に基づいた実証的な描写であることをうかがわせるエピソードだ。
こうした専門家からの評価が、本作が単なる娯楽作品にとどまらず、歴史考証の面でも高い水準にあることを裏付けていると言えるだろう。
なお、同じSouffle公式コラムのインタビューの中で、トマトスープ先生自身がロシアによるウクライナ侵攻を見て、占領された街が占領側の手で「綺麗に造り替えられていく」ことに対する元の住人の複雑な感情をシタラの内面描写に反映させたと明かしている。
13世紀の出来事を描きながら、現代の戦争や征服という普遍的なテーマを制作背景に持っている点は、読者としても知っておく価値があるだろう。
【考察】研究者評価から見る、天幕のジャードゥーガルが評価される理由
ここからは、これまでの取材内容を踏まえた筆者自身の見方を述べておきたい。
個人的に興味深く感じるのは、本作が「史実を書き換える」のではなく「史実の空白を想像力で埋める」という手法を徹底している点だ。
ファーティマやドレゲネのように、記録には名前と大まかな立場しか残っていない女性たちに、内面や動機を与えて生き生きと動かす。
白石氏が指摘するように、風俗描写の正確さが土台にあるからこそ、創作部分にも説得力が生まれているのだと考えられる。
白石氏自身が「研究者は歴史を紙芝居のように一瞬一瞬切り取って考えるが、この作品はその紙芝居の間をつなげて動画にするような描き方をしている」と語っているのは示唆的だ。
専門的な研究では扱いにくい「人物の内面」や「出来事のつながり」を、フィクションという形式だからこそ補完できる。
これは歴史コンテンツの新しい可能性を示す事例と言えるのではないかと筆者は考える。
この手法は、モンゴル帝国を扱った歴史フィクションの中でも比較的珍しい部類に入ると筆者は感じている。
チンギス・カンを主人公に据えた作品は少年漫画・時代劇を問わず数多く存在するが、オゴタイ以降の宮廷内、しかもイスラーム系の女性を中心に据えた作品は多くない。
同じ「史実の隙間を埋める」歴史フィクションでも、王や将軍といった記録の多い人物を主人公にする作品が主流の中、記録の少ない女性たちを主軸に据えたことは、ジャンル内でも独自性のあるアプローチだと考えられる。
また、原作者がロシアによるウクライナ侵攻という現代の出来事を創作の動機に結びつけている点も、単なる時代考証にとどまらない現代性を作品に与えている要因だと筆者としては感じている。
今後の展開についても、モンゴル帝国の年表を踏まえると、オゴタイの死やその後の後継者争いなど、史実として大きな転機がまだ数多く控えている。
シタラとドレゲネの復讐がどのような結末を迎えるのか、史実の枠組みの中でどこまで創作の余地が残されているのかは、今後も注目していきたいポイントだ。
まとめ|天幕のジャードゥーガルは史実に基づく歴史フィクション
『天幕のジャードゥーガル』は、ドレゲネと、彼女に仕えたファーティマ・ハトゥンという実在の人物を元ネタに、その空白部分を主人公シタラという創作キャラクターで補った歴史フィクションである。
チンギス・カンの死やオゴタイの即位、末子相続とクリルタイの仕組みといった大枠は史実に沿っている。
一方で、細かな出来事や人物の内面描写は創作である、という二重構造を理解しておくと、作品をより深く楽しめるはずだ。
よくある質問
『天幕のジャードゥーガル』は実話がベースになっているの?
完全な実話ではない。実在したファーティマ・ハトゥンとドレゲネという人物、そしてモンゴル帝国の歴史的な流れを元ネタにした歴史フィクションである。
シタラは実在の人物ですか?
シタラ自身は作品オリジナルのキャラクターだ。ただし彼女が名乗る「ファーティマ」は、歴史書『集史』にも記述がある実在の人物がモデルになっている。
どこまでが史実でどこからが創作かわかりますか?
チンギス・カンの死没やオゴタイの即位年など大きな出来事は史実に近い。ただし公式でも「史実とは必ずしも一致しない」と明記されており、細部のエピソードや人物の内面描写は創作である。



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