結論から言うと、『天幕のジャードゥーガル』の原作は小説ではなく漫画です。作者はトマトスープさんで、秋田書店のWebコミックサイト「Souffle」で2021年9月25日から連載中の歴史漫画が原作にあたります。
※本記事の情報は2026年8月時点で確認できる範囲のものです。単行本の巻数やアニメの放送話数、キャスト・スタッフ情報は今後更新される可能性があるため、最新情報は公式サイトや番組公式情報で確認することをおすすめします。
2026年7月からはテレビアニメも放送されており、「原作は小説なのでは?」と検索して調べている方も多いようです。この記事では、原作が漫画であることの根拠と、漫画版とアニメ版の違いについて、わかっている情報をもとに整理していきます。
『天幕のジャードゥーガル』の原作は小説ではなく漫画作品
まず大前提として、『天幕のジャードゥーガル』は小説作品ではありません。
秋田書店の少女漫画レーベルであるボニータコミックスの一作として刊行されている、正真正銘の「漫画」です。
連載媒体は秋田書店の公式Webコミックサイト「Souffle」で、2021年9月25日にスタートしました。
さらに2025年4月号からは、月刊少女漫画雑誌『ミステリーボニータ』でも出張連載が行われており、Web発の作品でありながら紙の雑誌にも掲載されるという形をとっています。
単行本は2026年7月15日時点で既刊6巻です。
番外編的な位置づけの『もっと!天幕のジャードゥーガル』という関連コミックスも刊行されています。
つまり「小説が原作でアニメ化・漫画化された」のではなく、「漫画が原作でアニメ化された」というのが正しい理解になります。
ライトノベルや小説投稿サイト発の作品と混同されやすいタイトルですが、そうした経緯は秋田書店の公式情報や単行本の奥付上では確認できません。
なお「天幕のジャードゥーガル」で検索した際、ひらがな表記「てんまくのじゃーどぅーがる」やタイトルの一部だけの検索(「ジャードゥーガル 漫画」「ジャードゥーガル アニメ」など)で情報にたどり着く読者も多いようです。表記が違っても指しているのは同一作品なので、検索の際は参考にしてください。
原作者トマトスープさんはどんな漫画家?
原作者のトマトスープさんは、中世〜近世の世界史をテーマにした歴史漫画を得意とする漫画家です。
秋田書店の作品紹介や関連インタビュー記事によると、5歳ごろに中国・内モンゴル自治区のシリンホト市を訪れた経験がきっかけでモンゴルへの興味を持ち続け、大学時代から本格的にモンゴル帝国史を調べるようになったと語られています。
もともと自身のウェブサイトにモンゴル帝国を舞台にした漫画を掲載していたところ、それが秋田書店の編集者の目に留まり、本作の連載につながったという経緯も同インタビューで紹介されています。
トマトスープさんは『天幕のジャードゥーガル』以外にも活動しており、新書館の雑誌「WINGS」では「奸臣スムバト」を連載中です。
また、完結済み作品として「ダンピアのおいしい冒険」(イースト・プレス)があります。
いずれも史実を丁寧に調べたうえで創作として再構成するスタイルが一貫しているのが特徴です。
ここで少し専門的な視点を加えると、「ダンピアのおいしい冒険」が大航海時代の実在の探検家を主軸にした一人称的な冒険譚であるのに対し、『天幕のジャードゥーガル』は複数の史実人物の思惑が絡み合う群像劇に近い構成になっています。
この作風の変化については、後述の「考察」セクションで改めて掘り下げます。
個人的には、この経歴を知ると本作の緻密な時代考証や、後宮という閉じた世界の描き方に説得力を感じる読者も多いのではないかと思います。
作者自身が長年モンゴル史を追いかけてきたからこそ描ける密度だと感じます。
原作漫画のあらすじと構想の裏側
物語は1213年、ペルシア(現イラン)東部の街トゥースから始まります。
奴隷の少女シタラは、学者の未亡人ファーティマに引き取られます。
その息子ムハンマドから学問の大切さを教わりながら教養を身につけていきます。
しかし8年後の1221年、チンギス・カンの四男トルイ率いるモンゴル軍がトゥースに侵攻します(ホラズム・シャー朝征服の一環)。
ファーティマの亡き夫が遺した学術書『エウクレイデスの原論』の写本が奪われ、それを取り返そうとしたシタラを庇ってファーティマが命を落とします。
捕虜となったシタラは、通訳の少年シラの提案を受けます。
亡きファーティマの名を騙り「学者の娘」としてトルイの妃ソルコクタニに仕えることになります。
その後1227年にチンギス・カンが崩御し、1229年に三男オゴタイが即位します。
この即位直後に起きた「ジャダ石(ベゾアール)紛失事件」をきっかけに、シタラはオゴタイの第六妃ドレゲネと出会います。
そしてモンゴル帝国への復讐に向けて手を組んでいく——という筋書きです。
興味深いのは、この物語が当初はドレゲネを主人公にする構想だったという点です。
秋田書店の作品特設ページや原作者インタビューによると、トマトスープさんは、後世の史書での評価は低いものの、男性優位社会で一時は頂点に立ったドレゲネには「何らかのタレント性があったはず」と考え、そこにドラマを見出そうとしていたと語っています。
しかし帝国のスケール感を描くには動きのある人物のほうが向いていると判断し、イスラム史への関心もあって、主人公を奴隷出身のシタラ(当初はファーティマという設定)に変更したそうです。
10年ほど構想を温めていたというエピソードも同インタビューで語られており、一朝一夕で生まれた作品ではないことがうかがえます。
こうした背景を知ると、単なる歴史活劇ではなく「なぜこの人物が主人公なのか」という作者の選択そのものに意味があると感じます。
ドレゲネ視点の構想が土台にあるからこそ、彼女の内面描写が今も物語の重要な軸になっているのだと考えられます。
アニメ版と漫画版はどこが違う?
先に要点を言うと、両者の違いは主に「美術設定の作り込み」「時系列や文化描写の修正」「表現媒体としての演出手法」の3点に集約されます。

アニメは2026年7月4日からテレビ朝日系列などで放送されており、番組公式サイトの制作陣クレジットによると、総監督を山田尚子さん、監督をAbel Gongora(アベル・ゴンゴラ)さんが務め、アニメーション制作はサイエンスSARUが担当しています。
同じく番組公式サイトの情報として、シリーズ構成は加藤還一さん、キャラクターデザインは吉田健一さん、音楽は日野浩志郎さんが担当していると案内されています。
原作の絵柄とはまた違う映像表現になっている点が特徴です。
主な違いを整理すると、次のようになります。
- 美術設定:漫画は画面構成を優先し建造物や背景を省略していた箇所が多いが、アニメではキャラクターや建物を立体的にあらゆる角度から描く必要があるため美術設定を一から作り直している
- 時系列・文化描写:制作サイドと原作者・歴史考証担当者とのやり取りの中で、漫画内にあった時系列の誤りや文化的描写の不正確さが指摘され、原作コミックスが修正される場面もあったとされる
- 表現手法:漫画はコマ割りによる間の取り方が特徴だが、アニメは色彩・音・声優の演技を通じて心理描写を補強している
原作者インタビュー記事として紹介されている情報によると、制作サイドから都度質問リストが作られ、トマトスープさんや歴史考証を担当する研究者が回答を書き込むというやり取りが繰り返されたとのことです。
つまり、単行本は版によって記述が更新されている可能性があるということです(この点は媒体・掲載時期によって表現が異なる場合があるため、最新の単行本や公式情報で確認するのが確実です)。
同インタビューでは、原作者自身が「漫画で描きたいことは漫画で完結している」という考えから、アニメはアニメとして自由に作ってほしいというスタンスだったと語ったとされています。
結果として、原作や史実へのリスペクトを保ちながらも、映像作品として独自の解釈が加わったものに仕上がっていると評価されています。
このあたりは、原作既読者ほど「漫画とアニメで受け取る印象が違う」と感じるポイントになりそうです。
特に色彩や音、間の取り方といった映像ならではの表現は、コマ割りで読む漫画とは体験がまったく異なります。
なぜ「原作は小説では?」と思われるのか
明確な理由が公表されているわけではありませんが、実際の検索行動から推測できる要因はいくつかあります。
- 歴史や政治的駆け引きを扱う重厚なストーリー展開が、歴史小説的な読み味に感じられやすいこと
- タイトルの「ジャードゥーガル」という響きが、ファンタジー小説のタイトルのように見えること
- アニメの原作クレジットだけを見て、原作の媒体を確認せずに「〇〇(作品名) 原作 小説」という形で検索する読者が一定数いること
なお「ジャードゥーガル」はペルシア語で「魔術師」「魔女」を意味する言葉です。
作中でシタラやドレゲネが知恵を武器に立ち回る姿を象徴するタイトルと考えられますが、これも小説的な世界観を連想させる一因かもしれません。
実際、同じように歴史・宮廷ものを扱う作品では、「〇〇 原作 小説」型の検索が発生しやすい傾向があります。重厚な人間ドラマや権力闘争を描く作品ほど、読者が「文芸作品らしさ」を感じ取り、原作媒体を確かめたくなる心理が働きやすいためだと考えられます。
筆者としては、こうした重厚な物語ほど「小説発なのでは」と思われがちなのは自然なことだと感じます。
ただ、事実として本作は連載開始から一貫して漫画作品であり、小説版が先行して存在したという情報は確認できません。
世間の反応・注目ポイント
アニメ放送開始後は、キャスト陣の演技に関する反応が多く見られます。
番組公式サイトで案内されているキャスト情報によると、シタラ役を関根明良さん、ドレゲネ役を小清水亜美さん、ファーティマ役を桑島法子さんが務めています(キャストは今後の話数で追加・変更される可能性もあるため、正式な最新情報は番組公式サイト等で確認することをおすすめします)。
原作者自身も、インタビュー記事の中で第1話冒頭のアザーンが流れトゥースの街をシタラが走り回るシーンについて、色彩や動きの滑らかさ、劇伴、演出のすべてが詰まっていると評価するコメントを寄せたと伝えられています。
また同インタビューでは、シタラが「もう知らないところに行くのはイヤ」と泣き出す場面が、幼い子どもの心情表現として印象的だったという原作者の言葉も紹介されており、原作の心理描写がアニメでどう再解釈されているかに注目が集まっているのがわかります。
考察:原作漫画とアニメ、それぞれの魅力をどう楽しむか
ここからは筆者の私見になりますが、『天幕のジャードゥーガル』は「原作か、アニメか」を対立させて考える作品ではないように思います。
原作漫画は、作者自身が10年構想を温め、モンゴル帝国史とイスラム世界の知識を独自に調べ上げて描いた、いわば「一人の作家の解釈」が濃く出ている作品だと感じます。
コマ運びや平面的な絵柄そのものが、中世の写本を思わせる独特の質感を生んでいる点も見逃せません。
一方でアニメは、山田尚子総監督とAbel Gongora監督という異なる作風を持つ二人が、監修者を交えて史実との整合性を検証しながら作り直した、いわば「もう一つの表現」だと考えられます。
原作にはなかった立体的な美術設定や、声優陣の演技によって、キャラクターの解像度が上がっている印象があります。
改めて作者の作家性という点で整理すると、同じ作者の「奸臣スムバト」や「ダンピアのおいしい冒険」は、いずれも一人の主人公の視点で史実をなぞる構成が中心でした。
それに対して『天幕のジャードゥーガル』は、シタラ・ドレゲネ・ソルコクタニといった複数の女性たちの思惑が交錯する群像劇へと踏み込んでおり、単独主人公を中心に据えてきたこれまでの作風から、視点を分散させる方向へと明確に舵を切った作品だと言えます。
この転換は、作者にとってキャリア上の挑戦であると同時に、後宮という閉じた空間で複数の権力者たちの駆け引きを描くという題材そのものが、群像劇的な構成をほぼ必然的に要求した結果でもあるように筆者には見えます。
同じ「史実ベースの歴史漫画」というジャンルを見渡しても、後宮を舞台に複数の女性の視点から権力構造そのものを描く作品は必ずしも多くなく、この切り口こそが本作特有の強みだと筆者は考えます。
個人的には、原作の修正が制作過程を通じて行われたというエピソードが特に興味深く感じました。
アニメ化がきっかけで原作自体の精度が上がるというのは、必ずしも珍しいケースではないものの、両者が単なる「原作→映像化」の一方通行ではなく、相互に影響し合っている関係性がうかがえます。
今後については、原作漫画がすでに1230年代の出来事まで描き進めている一方、アニメは2026年7月開始の放送でどこまでのエピソードを描くのか、現時点では続報を待つ必要があります。
物語はオゴタイの死後の後継争いなど、史実としても波乱の展開が控えている時期に差し掛かっているため、漫画・アニメどちらの続報にも注目が集まりそうです。
まとめ
『天幕のジャードゥーガル』の原作は小説ではなく、トマトスープさんによる漫画です。
秋田書店のWebコミックサイト「Souffle」で2021年9月25日から連載され、2026年7月15日時点で既刊6巻が刊行されています。
2026年7月からはテレビアニメも放送されていますが、山田尚子総監督とAbel Gongora監督のもと、原作とは異なる美術設定やアプローチで制作されている点が特徴です。
制作過程では原作の時系列や文化描写の修正が行われたというエピソードもあり、漫画とアニメが互いに影響し合いながら作品世界を深めていることがわかります。
原作の背景にある作者の経歴や構想の経緯を知ると、漫画・アニメそれぞれの見え方がより立体的に感じられるはずです。
よくある質問
『天幕のジャードゥーガル』の原作は小説ですか?
いいえ、小説ではありません。トマトスープさんによる漫画作品が原作で、秋田書店のWebコミックサイト「Souffle」で2021年9月25日から連載されています。
原作漫画は何巻まで出ていますか?
2026年7月15日時点で既刊6巻です。番外編的なコミックス『もっと!天幕のジャードゥーガル』も刊行されています。巻数は今後増える可能性があるため、最新情報は公式サイトで確認してください。
アニメと漫画は内容が違いますか?
大筋のストーリーは共通していますが、美術設定・時系列や文化描写の修正・演出面で違いがあります。制作過程で原作コミックスが見直された経緯も伝えられており、単純な映像化にとどまらない作り込みがされています。



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